日本語と英語でネットサーフィン。

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コミュ障こそが群れを作る。あなたは一人で食事ができますか?




【教育】 大学生に「コミュニケーション弱者」多く…学食にお1人様用席、学園祭は参加強制、グループワーク必修で男女の出会い作り

・2chのスレに釣られるのもどうかと思うけども、「軍人勅諭」「社会人」「常識」「ポア」「反動的」と同じように「コミュニケーション能力」という言葉も、同じような使われ方になっているようだ。

こういった言葉がどう同じかというと、言葉を使うシチュエーションやキャラはみんなが共通認識として持っているのに、具体的な内容についてはそれぞれが勝手に定義して使い出すことができてしまうということだ。 言葉を使う側は、ただよく知っているキャラクターになりきって「社会人」やら「常識」というフレーズを使いながら、好きなように好きなことを語ることができてしまう。

さらにこういう言葉は権威者として話すものなので、いったん自分勝手な定義で使い出すと、実際には一般的ではないし、他の組織に行くと通用しないものなのに、まるで普遍的な真理かのように組織内に広まってしまう。他の組織では違う定義でしゃべっているから、同じ言葉を使っていても、実際には日本中でバラバラな事を言っているわけだ。同音異義語が無限に増えると言ってもいい。

その結果として、組織の硬直化と組織の間での人の流動性がなくなることになるだろう。それがまさに今の日本的組織の問題でもある。


・そういうわけで、「コミュニケーション能力」という言葉についてもそれぞれが勝手に定義して使い出していることはよくない状況だと思う。2chスレを見ると、一人飯の話題が圧倒的に多い。学食に行けば一人飯をしている人と大勢でグループになって食事している人を見かけることがよくある光景だ。
そういう体験からかもしれないけど、2chのスレでは「一人飯=ぼっち=コミュ障」で、「グループで食事=リア充=コミュニケーション能力がある」という風に思っている人が多いようにみえる。

でも本当にそうか?実際には一人飯をする人には、一人で食べることが「できる」という人間と仕方なく一人で食べる「しかない」人間がいるだろう。グループで食事している人にも、みんなで食事「したい」からみんなと一緒にいる人とみんなで食事する「しかない」人がいるだろう。
要するに、グループで食事していると言っても、必ずしもやりたくてやっているわけではない。これを「キョロ充」なんて言う言い方もあるようだ。

もっと言うと、そういういわゆる「キョロ充」はなんで一人になるのを恐れるかというと、一人で食事しているところを見られたりなんかしたら、グループから見下されたり場合によってはグループからハブられることを恐れているからだと思う。


・そこで問題なのが、果たして一人で食事している人とグループで食事している人、どちらがコミュニケーション能力に欠陥があるかだ。

さっきのキョロ充のことを考えると、いったん一人で食事するともう仲間からハブられるようなグループもあるわけだ。「コミュニケーション能力」というものを、外部の人に対して情報共有することという意味で捉えると、いったんぼっちになるとハブるグループというのは「コミュニケーション能力」が欠如していると言ってもいいのではないか。

「コミュニケーション能力」というものを、内側の仲間が馴れ合うという意味でとらえるならば、もちろん能力があると言ってもいい。でも、そういった能力に長けたグループは、できれば北朝鮮や中国といった、内向きの共産圏に行けば活躍できるだろうし、その方が日本にも共産国にとってもメリットだと思う。


・一方、なぜぼっちがぼっちのままでいるのかというのも問題。外向きの「コミュニケーション能力」があるグループならば、一人で食事している人にしゃべりかけて仲間に入れればそれで済む。もちろん一人でいる人がよっぽどコミュ障なら無理だろうが、実際にはそういうぼっちの人に話しかけて仲間に入れることができるグループがどれくらいいるのか。

そういうわけで、「コミュニケーション能力」と言っても少なくともそれが社会にとって望ましい性質であるとするならば、外向きのコミュニケーション能力でないと意味がない。むしろぼっちがいる状態で何もできなかったり、そういう人を見下すだけになっていることが、「コミュニケーション能力」の欠如の表れだと思う。

外向きのコミュニケーションができる人や、そういうグループならば一人で食事していようが関係なくグループに戻れるだろうし、一人飯の人に話しかけることもできるだろう。そういう意味でリトマス紙になりそうな質問がある。

「果たしてあなたは一人で食事ができますか?」