日本語と英語でネットサーフィン。

日本語や英語でネットをしてるうちに出会ったものを紹介していきます。

岡田斗司夫さんが最近精力的に広めようとしている考え方が、「評価経済」だ。ネットを介したつながりの発達によって、これからの十何年かでこれまでの貨幣経済に加えて、人への評価というものが重要になってくるということだ。

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている


でも考えてみると、人への評価とは人脈とは違うのか?近代以前のお金によらない経済とどう異なるのか?さらに言うとそれは良い未来なのか??
定義があいまいな分たくさんの疑問が沸く。

しかし今関心があるのは、最近進んでいるネットでの実名主義と評価経済との関係だ。

実名主義と公平性は両立しない

では現在ネットで広がりつつある実名主義の中で、お金に匹敵するくらい公平な評価システムが作れるだろうか。
人間関係だけではなく、人種、性別、年齢、出身地などが違ったとき、「いいね!」ボタンを押そうとする気持ちに変化があるのなら、評価経済はむき出しの偏見や差別を評価として一挙に受け入れてしまう。

そもそもネットに限らず、スポーツのジャッジにしても作品の批評や金融業界の格付けにしても、評価される側と評価する側の利害関係をできるだけ無くすことが、公平な評価のために必要なことである。
そういう意味で、生産者と消費者が一致し、評価する側とされる側のどちらにもなれるというネットの特質は、実は評価に向かないのではないか?
少なくとも匿名という保護機能なしには。

お金の匿名性と公平性

お金はそうではない。お金の本性は究極の匿名性と言えるかもしれない。スーパーで今日の夕飯の買い物をするとき、払ったお金は実は近所の嫌な隣人から回ってきたのかもしれないし、オタクやDQNからかもしれない。また、もしかしたらトムクルーズが来日したときに使ったお金だったかもしれない。

お金はその匿名性と、原則的にはそれを使えばほとんど何でも買えるという特性がある。これがいわゆる貨幣の流動性の根拠だ。
またその匿名性ゆえに、自分の評価を反映させることができる。大きな製氷機能つきの冷蔵庫が欲しいならば、買えばいい。その金額と選んだ選択肢が一種の投票となって、経済の一部を動かす。それがさらに人々のインセンティブを少しだけ動かすことになる。お金を使うというのは一種の選挙とも言える。そしてその選挙をもとに、生産者は生産量や製品の質、機能を変えることができる。

実名主義フェイスブック

フェイスブックを眺めていると流れてくる友達からの投稿。たとえば今日のご飯やなんと言うことのない風景の写真。ぼくはまるで義務のように「いいね!」を押すとすぐさま他の所へ目を向ける。
実際多くの人が同じようなことをした覚えがあるのではないかな。

「いいね!」ボタンはネットの世界で最も流通している評価貨幣だと言ってもいい。評価経済と聞いてまず思い浮かぶのはこういう形の可視化された評価だ。それがもし本当の人々の評価を表してくれるなら、たしかに一つの指標として良いかもしれない。googleページランクも似たようなものだ。

しかしフェイスブックの特徴である実名主義では、ぼくたちの本当の評価ではなく現実世界の人間関係、癒着、見栄などを同時に引き連れてしまう。その結果評価がゆがんでしまう。