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<a href="http://econdays.net/?p=6828">【古】クルーグマン「低賃金労働を称えて:ひどい賃金のひどい仕事でも無職よりマシ」(Slate,1997年3月21日) &#8211; 道草</a>がおもしろかったのでまとめてみる。

たしかに第三世界の新たな輸出産業の賃金と労働条件は劣悪だけれど,「それ以前のあまり目につかない農村の貧しさ」からは大きく改善しているんだよ

当然反グローバリズム主義者からは、それを非難する声がクルーグマンに届けられた。
しかし
keyword:クルーグマンは、フィリピンのゴミ山のことを考えながら、それに対する反論を書いた。

そのゴミの山とはフィリピンのマニラ付近スモーキー・マウンテンで、ゴミ捨て場には貧しい人々が集まり、ゴミを集めることで生計を立てるスラムが出来上がっている。なぜ人々が集まってきたかというと、この仕事のほうが他より割が良かったからだ。

でもこのゴミ山のスラムを消滅させる力を持っているのは世にあふれる良心を持った海外援助活動なのか。いや、そうではなくてグローバリズムだ、というのがクルーグマンの言いたいことだと思う。
クルーグマンは途上国こそがグローバリゼーションの恩恵を受けているという。なぜか。20年ほど前の途上国では、輸入割当などの国内産業を保護する政策で、自国の産業を発展させようとしたが多くが失敗。その結果雇用は生み出さされず、農民達は人口の圧迫から辺鄙な土地の開墾などを余儀なくされた。ゴミ山で鉄くずを集め出す人々も増えた。

しかし現在、関税障壁や空輸費用の低下や通信技術の発達で、途上国と先進国が簡単につながるようになってきた。その中で途上国の低賃金というメリットが意味を持ち始めた。結果、先進国が途上国で工場をつくって物を製造するという産業形態が出来上がった。

途上国にそういった形の成長産業が出来ると、労働者は引く手あまたになり、労働力が欲しい企業は賃金を上げる。経済は回って農村にまで波及効果が届く。

重要なことは、これらは良心をもった海外支援のおかげではなく、グローバリゼーションにならう企業の動きによって成し遂げられたということだ。

そこで、なぜ反グローバリズムはまずいのか。例えば彼らが言うように途上国の労働環境が改善されない限り、その製品を買わないという運動をしたとする。そうすると痛手を負うのは途上国自身となる。途上国は低賃金というメリットを失って、産業の成長の伸びが悪くなる。それが経済全体の波及効果に水を差すことになる。
さらに先進国が下手に援助をすることで、途上国の政治に癒着や依存を生んで、自律的な成長を阻害しかねない。


ここまでが、クルーグマンの記事の自分なりのまとめだが、思うにクルーグマンはグローバリゼーション問題に関しては市場原理にまかせるべきだという考えが強いのだろう。なぜ彼が記事を書きながらゴミ山のスラムを思い浮かべていたかというと、その生成と消滅は貿易に関する市場原理によると考えていたからだと思う。

しかしクルーグマンに反論するとすると、反グローバリズムとはいかないまでも、途上国の労働環境を改善する手立ては市場と経済以外にあるのではないか。

例えば途上国の人たちの労働環境が悪い原因の一つは、労働者の選択肢が少ないことだ。労働者が一つの企業や産業にしばられずに、企業間や産業間での移動ができるように、教育、情報、ネットワークを作ることができれば、労働者の交渉力が高まるのではないだろうか。そういう形での支援なら、先進国もできるのではないかと思った。